tama’s blog

備忘録を兼ねて、色々まとめていければいいな。

学部時代の失敗(4年生編)

 やぁ!皆、元気かね?

 

今回はいつもと趣旨を変えた記事を書くことにするよ。

 

自分の大学学部生時代を悲観的に振り返ってみたという内容だ。と言っても高々2年前の話だが。

 

放置系研究室へようこそ

 細かい経緯は別の記事に譲るとして、僕はブラック研究室(放置系)に入ってしまった。放置系研究室の定義については、コールミントさんが記事にまとめているので気になる人は読んでみてくれ↓

note.com

 

僕の研究室の構成は、

教授(外国人)1人、

助教(日本人)1人、

Phd(外国人)1人、

博士3年生(外国人)1人、

修士0人、

学士1人(僕だけ。前年に1人いた4年生は別の研究室へ院進。)

と、日本にありながら、かなりインターナショナルな珍しい研究室だった。その珍しさにも惹かれて、英語に少し自信のある僕は「国内留学や!」とばかりに飛び込んでしまった。

 現実は甘くなかった。教授は研究室がある建物とは別の建物にある部屋を使っていて、物理的に少し離れていた。また、別の研究機関でも研究していたので大学のキャンパスに毎日いるわけではないらしかった。教授と会える頻度は月1回以下と、面と向かったコミュニケーションが取りづらく、実際全然取れていなかった。メールでのやり取りはミーティングの日程調整くらいだった。

 研究室ゼミや発表会も無く、だれがどんな研究をしているのかさっぱりわからなかった。助教は唯一の日本人だったが、研究に追われていたのか、いつもセカセカしていてフレンドリーではなかった。挨拶意外の会話はあまりなかった。

 僕がイメージしていたような〈論文紹介したり、ホワイトボードの前で議論したりする〉研究室と違って、コミュニケーションが少なく冷えていた感じだった。

2年間在籍した結果

 学部2年で取るべき必須単位を見落としていて、僕は4年生を2周した。その2年間を同じ研究室で過ごした。途中で、M1中国人留学生が入ってきたりと多少の変化はあったものの最後まで放置系だった。研究計画の立て方や、卒業論文の書き方の指導などは一切なかった。2年間同じ研究室に居て、僕は卒業論文を書けなかった。他の4年生達は1年間研究室に在籍して卒論を書き上げたり、論文は無いにしろ、何らかの課題を研究して卒業発表会で発表していた。横から見ていて、とても羨ましかった。実家に帰った時、弟の製本された卒論を見て「自分は何をやっていたのだろう?」と悲しい気持ちになったのを今も忘れない。また、その時に母や弟から「お兄ちゃんの卒論は?」と聞かれたが「卒論課題は無かったよ!」と誤魔化した。虚しい。

 

 2回目の4年生の時、助教に「卒研発表会に参加する?」と聞かれ、僕は「はい」と答えて参加するつもりでいた。しかし、担当教官だった?教授からの補助も無く、研究は全然進まず、かろうじでアブストっぽいものを書いて卒研発表の運営係の学生にメール送信した。

 発表会が迫るも、実質的な研究内容は無く恐怖しかなかった。本番直前の発表スライド提出〆切日、僕は「インフルに罹ったので参加できない」と嘘を付いて発表会を辞退した(教授は出張予定があり、発表会には参加しない予定だった。助教も参加するかどうか不明だったが、結局参加しなかったようだ)。研究ができない自分、嘘を付く自分が恥ずかしかった。嘘を付く以上に、発表者全員(30名くらい?)に迷惑をかけたのが苦しかった。発表会は例年、日本語で行われるのだが、僕の研究室(外国人が教授)が参加するということで、皆が英語のスライドを作って英語で発表させられることになっていたのだ。僕がドタキャンしたせいで、英語で準備した時間が無駄になったのだ。それ以来、僕が迷惑をかけた人が大勢いる研究室がある建物に近づくことが怖くなり、卒業前に自分の持ち物を片付けるのも、人がいない深夜に一人でやった。卒業年度の2月末以降、教授との連絡は一切なかった。他の研究室なら、卒業式当日に研究室に行って先生や後輩から祝福されるのかな?

 つい先日たまたま研究室のHPを見に行ってみたら学部生が1人居たので、他人ごとではあるが心配になった。

野望

 社会人になったものの、研究をして論文を書いてみたいという思いはある。またこんど研究する機会があれば、この失敗した経験を生かして研究室選びを慎重にしたい。

今度研究室を選ぶ際には、

・教授との相性

・研究室の雰囲気

・研究内容

を精査したい。